食の研究所

お酢はいつから「健康によい」調味料になったのか?~調味料の名脇役「お酢」の歴史と科学(前篇)

漆原 次郎(フリーランス記者)  2017年05月17日

室町時代にかけて日本におけるお酢造りの中心地は、和泉(現・大阪府堺市)の堺港だった。ここで造られた「和泉酢(いずみす)」は、米を原料として、糖化、酒の発酵、酢酸の発酵を同時に行って造る「米酢」の源流とされる。庶民の教科書『庭訓往来』にも各地の特産物として「和泉酢」の名が、「周防鯖」や「近江鮒」などと並び記されている。

江戸の握りずしに貢献した尾張半田の粕酢

江戸時代に入ると、和泉酢の造り方を基本としながら、各地で工夫が加えられていき、お酢に多様性が見られていく。相模で造られ江戸城にも上納された「中原酢」、駿河は富士の麓の東泉院で造られた「善徳寺酢」、兵庫の豪商だった北風家による「北風酢」などだ。

尾張の半田(現・愛知県半田市)からは、今の私たちの食生活ともゆかりの深い「尾張半田の粕酢(かすず)」が造られていた。

当地の酒造家に養子入りした初代中野又左衛門は、1804(文化元)年、旅先の江戸で「早ずし」と呼ばれるすしに出合った。すしといえば、古くは塩漬け魚と飯を発酵させた「熟れずし」や、お酢を加えて発酵を早めた「半熟れ」があったが、当時の江戸で流行り始めていた「早ずし」は、ネタと酢飯で握る、いまの「握りずし」の原型にあたるものだ。

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歌川広重(初代)の1841(天保12年)ごろの作
「東都名所高輪二十六夜待遊興之図」に描か
れている「寿し」の屋台。握りずしが見える。
(所蔵:The British Museum)

酒を造る傍らで、酒粕を原料とする粕酢も造っていた又左衛門は、この寿司には自分が造る粕酢の風味や旨みが合うと感じ、以来、粕酢造りを本格化させたという。

当時、江戸では寿司はファストフードだった。その後、「握りずし」が食べられるようになる。寿司が、魚や飯を発酵させたものから、酢を使ったものに移るのに伴い、又左衛門の粕酢は江戸の寿司屋で多く使われるようになった。「握りずしには尾州の粕酢に限る」とまで言われたほどという。

和泉酢を源流とする米酢、寿司の発展に貢献した粕酢、そして清酒と種酢と水で仕込んで造る酒酢(さかす)。日本の伝統的なお酢は、この3つに大別されている。

健康への注目は近現代以降

調味料の歴史を眺めると、醤油の工業的生産が始まったのは江戸時代以降だ。それまでお酢は、古代では醤、中世では味噌と並ぶ、日本人の大切な調味料であり続けた。そして、味覚の中の酸味の引き立て役を任されるとともに、味以外の機能面でも頼りにされてきたはずだ。

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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