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江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係 ~白くて太い野菜の多様性に迫る(前篇)

漆原 次郎(フリーランス記者)  2018年11月19日

「だいこん」と呼ばれるようになったのは、室町時代かそれ以前のこととされる。文明年間(1469-1487)ごろ成立した国語辞典『節用集』に「大根(だいこん)、又蘆菔(ろふ)、蘿菔(らふ)、大根(だいこん)」と見られるようになったからだ。

江戸時代、各地で「地大根」が生まれる

江戸時代中期の1730年代、日本の大根はすでに、地域ごとに品種の多様化が進んでいたようだ。東京家政学院大学名誉教授の江原絢子氏らが、各所領において調査された産物帳などから、大根の品種を調べたところ、当時、各地で作られていた大根の品種は90種類にのぼったという。

江戸時代、各地でどのように大根の品種が生まれたのかも、それぞれに謂われがある。3つほど見てみよう。

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現在、愛知県で収穫されている守口大根。
(写真提供:愛知県農林水産部園芸農産課)

「守口大根」は、長さ1メートル以上にもなる細い大根で、いまは愛知県や岐阜県で漬けものや切りぼし向けに育てられている。

だが、16世紀ごろまでは大坂・淀川にあった守口の中洲(現在の守口市外島から土居にかけて)などの寒村で育てられていた。硬いため、生で食べるよりも粕漬けにされた。元祖「守口漬」の誕生だ。

その後1583(天正11)年、大坂城が築かれると一帯は城下町となり、大根を育てづらくなっていく。代わって美濃や岐阜で栽培されていた長大根が守口漬に使われるようになり、美濃や岐阜の大根が「守口大根」と呼ばれるようになった。近年は、愛知でも守口大根や守口漬が盛んに作られている。

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江戸時代、下練馬村に程近い石神井の地で
大根が売られていた様子。
斎藤長秋編『江戸名所図会 巻之四』
「石神井明神祠」より。(所蔵:国立国会図書館)

「練馬大根」は、太く、長さも数十センチメートルほどになる大根。縁のある人物とされるのが、五代将軍の徳川綱吉(1646-1709)だ。

若かりしころ脚気を患っていた綱吉は、下練馬村(現・東京都練馬区)で療養していた。病が癒えるころ尾張(現・愛知県)から大根の種を取り寄せて栽培させると、立派な大根ができた。帰城後も、練馬の農家である大木金兵衛に大根を作らせ、献上させた。

綱吉はさらに東海寺の僧だった沢庵(たくあん)に貯蔵のしかたを講ぜさせた。1730(享保15)年の料理書『料理網目調味抄』には、「武州のねりま(略)二十日ばかり干して・・・」とあり、練馬大根の「沢庵漬け」が知られるようになっていたことをうかがわせる。

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聖護院大根。

「聖護院大根」は、長さも直径も15センチメートルほどの丸い大根。甘みが強いのが特徴だ。

文政年間(1818-1830)、京都の金戒光明寺に尾張の宮重大根が奉納されると、京都の農家だった田中屋喜兵衛が目をつけ、本山修験宗総本山の寺院である聖護院で栽培を始めた。短形に育った大根だけを選んで育てていった結果、丸い形の固定種になっていったとされる。

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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