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江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係 ~白くて太い野菜の多様性に迫る(前篇)

漆原 次郎(フリーランス記者)  2018年11月19日

大きさや重さから考える大根の多様性

こうして江戸時代、各地でその土地特有の大根が作られるようになった。鹿児島・桜島の巨大な「桜島大根」や、信州の辛味ある「鼠大根」なども知られる。相模・三浦では「三浦大根」の元祖も作られ始めた。江戸時代に、日本の大根の多様性が花開いたといってよいだろう。

どうして、こうも大根は各地それぞれで根を張り、多様化していったのだろうか。これには、大根の必要性に加え、大きさや重さといった特徴が関係しているかもしれない。

大根は、いまよりもはるかに“必要な作物”だった。江戸時代、1種類の食材に対して100種類の料理法を記した「百珍物」で大根が取り扱われたことからもうかがえるように、大根は当時の料理の多様性にも大いに貢献した。

だが、それだけではない。農村では、ご飯に大根を混ぜて食べたり、大根汁を作って食べたりするのがまさに日常茶飯事だった。農村の人びとにとって、大根は栄養を支えてくれる主食のひとつでもあったのだ。

一方で、大根は作物の中でも大きくて重い。いまと違って輸送手段が発達していなかった時代、漬物にして運ぶ以外では、遠くの消費地まで輸送しづらい作物だったはずだ。

だが、都合がよいことに、大根の栽培はわりと簡単にどんな土地でもできる。自分たちの地域で自分たちが大根を作るという精神が根づいたのだろう。土壌や気候が違えば、大根の作り方も違ってくる。人びとは自分たちの土地に合った大根を作ろうと、交配や選抜を試みただろう。

かくして、各地で独自の大根が生まれ、江戸時代の大根の多様化をもたらしたのだと考えられる。

「青首大根」大流行で多様性から均一性の時代へ

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青首大根。

結局、江戸時代全体で130種もの大根が栽培されたという。だが、近代に入り、市場では作物取引の自由化が進み、全国では輸送交通手段が発達していった。これらの利便性向上は、むしろ大根の多様性を低め、均一性を高めることにつながったという考え方もある。地元ならではの品種にこだわるより、生産効率の高い品種を多量に作って市場に送り込むほうが、収益は上がりやすい。

1974年には、現代の大根のイメージを決定づける新品種が世に誕生した。「耐病総太り」がタキイ種苗から発表されたのである。耐病性、栽培性、そして食味を兼ね備えた革新的な品種で、農地や市場を席巻した。根の上部が緑色を帯びた「青首大根」の宮重大根をもとに開発されたため、「大根といえば青首大根」といった印象を人びとは強く抱くようになっていった。近年では、国内の市場に流通する大根の9割が、青首大根とされる。

人びとの心の中では、大根の多様性は薄まってしまったかもしれない。だが、多種多様な大根の品種が日本で生み出されてきたのは事実だ。日本の大根は世界で最も変化に富んでいるとも評され、各地では地大根の復活を試みる取り組みも見られる。

科学の視点も注がれている。ゲノムや遺伝子を調べることで、大根の多様性を追究する研究が進んでいるのだ。研究者に話を聞いてみよう。

後篇へつづく)

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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