食の研究所

なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか~世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(前篇)

漆原 次郎(フリーランス記者)  2019年05月24日

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きんぴらゴボウ。呼び名の由来は、江戸時代の
「金平浄瑠璃」の主人公、坂田金平(坂田金時の息子)
の強さに通じるからとも、金平を演じた役者の髪型が
ゴボウに似ていたからとも。

日本の各地におけるゴボウ食は、どう展開していったのだろう。ゴボウの食文化などを研究する冨岡典子氏は、正月などの儀礼食として、関東以北では「きんぴらゴボウ」が、近畿地方では「たたきゴボウ」や「ゴボウのおひたし」が伝承されてきたと述べている。そして、祭りではゴボウがお供えになっていたことも触れ、「古代よりごぼうが神饌として供されたことが近畿地方を中心にごぼう料理の発達を促したと考えられないであろうか」と推測している*1

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たたきゴボウ。「たたき」は、ゴボウを
茹でて叩いて砕くことから。

煮しめ、きんぴら、たたきなどのゴボウ料理は、基本的には「ハレの日」に出されるものだったようだ。だが、江戸時代も下ると、総菜屋などでゴボウが売られるようになり、庶民の日常食としても食べられるようになった。1853(嘉永6)年に完成した喜田川守貞の風俗考証書『守貞漫稿』には、「菜屋」と呼ばれる総菜屋の記述があり、生アワビやスルメ、焼き豆腐などの他、クワイ、レンコン、そしてゴボウが醤油の煮しめとして売られていたという。こうした店は江戸のあちこちにあったとも記されている。

外国人は「ゴボウ食で虐待された」と訴える

太平洋戦争中、ゴボウを巡ってこんな国際事件があった。日本軍は敵国捕虜たちにゴボウ料理を与えていた。だが、捕虜たちにはゴボウ食の文化も経験もあるはずがない。戦後の軍事裁判では、当時のオーストラリア人捕虜から「私は木の根を食べさせられた」という虐待を受けたとの訴えがあった。ゴボウを与えていた旧日本軍人は戦犯扱いになったともいう(その罪だけではないだろうが)。ゴボウを食べる文化と食べない文化の違いから生じた出来事だ。

世界を見渡しても、ゴボウを食べる文化があるのは日本と韓国ぐらい。その韓国も、日本ほどさまざまなゴボウ料理があるわけではない。日本におけるゴボウの栽培や食は、世界で唯一のものといってよい。

ではなぜ、ゴボウの栽培や食が日本だけでこれほど発展したのか。前出の冨岡典子氏は、ゴボウとよく似た日本原産のアザミ属を食べる習慣が一要因だという考えを示している*1。キク科アザミ属の「モリアザミ」は「山ゴボウ」とも呼ばれ、古くから根も食べられてきた。日本原産の山ゴボウに対するこうした食習慣が前段にあり、日本人だけが当然のようにゴボウも「食べられるもの」と認識し、日本固有のゴボウ食文化にまで発展したとすれば、興味深いことだ。

他の国のことはつゆ知らず、日本人はゴボウの格を上げに上げてきたのだ。そして今もなお、ゴボウの栽培や食を発展させる日本人の営みは続いている。後篇では、ゴボウの新品種の開発の取り組みを追ってみたい。

(後篇へつづく)

*1:冨岡典子「日本におけるごぼうを食材とした料理の地域的分布と食文化」 日本家政学会誌 52, 511-521 (2001)

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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